空です。気が付いたらまた1ヶ月経ってました。まあ今日は珍しく日付は「今日の」日付です。誕生日を迎えました。
この一年間を振り返ってみれば、ろくなことはなかった。
あんなに勇んで出てった就職も、半年でメンタル壊して休職→退職して、結局この半年以上、浦々と生ぬるい生活を送っています。それで良いのか、と問われれば首は傾げますが、とはいえどうすることもできないよなあ、って諦めもどこかでこびりついています。
あとはFF14ずっとやってたな。どこかでも書きましたが、MMOというゲームジャンルの性質柄、深く遊べば遊ぶほど、『他人』との付き合いが増え、そこで人間関係が生まれて、宛ら現実世界と変わらない様相になっていきます。
このブログを長いこと追いかけてくださっている方ならご存知の通り、わいは人間関係を続けてくのが苦手です。作ることは出来ても維持できない。そんなわいが、MMOなんか上手く遊べるはずがない。そう思ってました。
結論から言えば、多くの人との別れはありました。いや、人から見れば少数なんでしょうが、それでも、去る事を「寂しい」と思ってしまうわいにとっては、それだけの別れでした。
仲良いと思っていた人に切られ、自分の作ったコミュニティでもうまく回せないから、疎遠になった人もいるし、昔のように独りぼっちだなあと思うこともありました。
けど、ぼーっと遊んでいて、月日が過ぎることに新しい人たちとの出会いとか、結局いつも遊んでいた面々とまた遊んでいたり、同じゲームをやっていても、そんな人の移ろいがありました。艦船擬人化をやっていた頃にはなかった体験でした。裾野が広いからこそ、そんな景色になったんだと思います。
今日もまた別れがあって、遣る瀬無くなっていたけど、誰に宛てたわけでもなく、ただ、ゲーム内の家で誕生日のカウントダウンをやるよ、って上げただけで、二十人近くの人がお祝いに駆けつけてくれました。
ほんの二日前、別の方のお誕生日会に行った時は、数えきれないぐらいの人がいて、すごいなあ、と思ったもので、それと比べてしまえば、こじんまりとしたものでした。
でも、こんな隅っこで、きっと誰も来ないだろうな、とどこか諦めていたわいにとっては、それだけで本当に嬉しくて、笑って遊んでくれる人がいるっていうだけで、大切なプレゼントを貰ったような気がしました。それは、この十数年間味わってなかったもので、きっと昔のわいじゃ手にし得なかったことであり、遠くまで来たなあ、と改めて思いました。
モヤモヤしたことがあって、元相方に愚痴って二言三言もらって、少し話してた時に、「やっぱここまで相性良い人いないなあ」って言ったら「お互い大事にしようや」って言ってくれたのもまた、数年前のわいじゃ考えもしなかった――いや、想像にも出来なかったことで、そういうのもまた、自分が変わってきた何よりの証拠であり、そういう小さな一粒一粒を拾い集めていた夜でした。
一週間前に発売されたamazarashiのライブDVD、休職していた時、名古屋まで見に行ったあのライブ『七号線ロストボーイズ』ツアーもやっぱり良かった。
見たかった東京公演の映像だったけど、やっぱり良いツアーだった。
勇んだ春、名古屋で出会った言葉たちを、挫折と苦悩に塗れた秋に名古屋で納め、そして、無色に生きてたこの夏に、また思い出して。そして流れるは『1.0』。
一番初めてのメジャー作品『0.6』に収録されている曲の歌詞の一部がそれぞれ紗幕にびっしり並び、それが横にスクロールして、リリース順にそれぞれの歌詞が同じように並び、それを『1.0』の歌詞が上書いていく。
その映像用に長くなった、豊川さんの優しいピアノのイントロと、朝方のような薄い明るい歌詞。映像と一緒の見ていた時は、その演出に涙が出て、感動していたけど、今こうして記事を書きながら、ライブ音源版の『1.0』を聴きながら、「あぁ、そうか」とハッとしました.
自分にとっての「1」というものは、結局欲しくて作り上げるものじゃなかった。
色んな挫折、苦悩、涙、諦め、全部をごちゃまぜにして、それでも諦めないで這いつくばって進んで、同じ目に遭うものかと足掻いて、同じようで違う結果を積み重ねて、それを繰り返して繰り返して、いつか、振り返った時に、それらの全てが無駄じゃなかったことを気付けた時に、初めて「1」になり得るのだと。
「どうにかなるさ」は他人に言う言葉じゃなかった。どうしようもない自分自身に言って、いつか、立ち上がるための言葉だった。それをこの一年間で強く思った。大抵はなんとかなった。「なんとかなる」がこの一年の合言葉でした。そして、この夜にたどり着いたわけです。
それなら、この一年は、きっと自分にとっての「1.0」と言うに相応しい一年だったと、そう言っても良いんじゃないか、と思えました。きっとこんなことを書いたのは、この13年書き続けてきたこのブログでも初めてな気がします。そう言えるようになったんです。やっと。数え切れないほどの人を傷つけ、別れ、悩んで悩んで悩んで、そういう日々の上に。
過去のことを無かったことにする気はないし、成し得てないことも、今だって反省しないといけないことは多いけれど、それらをこれからも背負い込んで、誰に褒められない、無様で、情けなくて不器用な形で、これからも歩いていきます。それがわいの物語であり、たぶん、わいの存在意義なんだと思います。過去の自分に救われることが多いこの数年です。
生きててくれてありがとう。足掻いてくれてありがとう。
出会ってくれてありがとう。産んでくれてありがとうとは言えないけど、でも、生きてて良かった。やっとそう思えました。きっとこれは一時の光で、明日また曇るだろうけど、晴曇空なんて名前はそんな意味です。昔からわいは変わってない。それで良いのだ。多分。
また一年生きます。そしてまた書きます。
Until I die.