意味不明人間の朗らかな破壊

2013年末から書いてる、三流脚本家の与太話。完全不定期で更新。一方通行の近況報告。

11.27

考え事がやまない今日この頃。でもいつかこういう今日のおかげで、未来の自分が救われる事を祈って。晴曇空です。

 

最近週一ぐらいで元相方と喋るんですが、お互い隠してることが元々無いので、やっぱり話しやすいですね。元相方の方も、最近のわいの事はある程度評価してくれてるし、本当にありがたいというかなんというか。

もちろん過去のこと全部許して貰えるとは思ってないけど、いつかしっかり狂わせてしまった分の埋め合わせはしたいです。罪滅ぼしって訳じゃないけど、そういうのじゃなくて、あの人の力になれる形で返していきたい。それが今なのかもしれないけど。そこら辺はまだ漠然としてます。

でもなんか、やっぱりもう縁切れることはない気がする。元相方とは。付き合う合わないとかの話じゃなく、人としての切れない信頼関係がどっかにある気がします。それは思い込みかもしれないけど。

 

そんな元相方と話してる中で、わいは人の失敗とかを馬鹿にしたり笑わない、って話をしてて、ちょっと考えてました。

ここ1年のわいの思考としては、この前の記事でも書きましたけど、秋田ひろむの「欠けてこその自分」っていうのを大事にしてて。

欠けた部分がない人間って、結局居ないもんだと思ってて。わいは人付き合いが苦手だし、小説書いてる癖に言葉選びは雑だし、故によく誤解もされるしで、挙げるとキリないんですけど、だからこそ人に優しくいようと思ってて。そこも秋田ひろむと似てる部分かなあ、とAPOLOGIES内の記事読んでて思うわけですが。

だから、人の欠けてる部分も基本気にしないんですよ。もちろんわいも人間だし、我慢も限度があるので、そうなると話は別ですけど。合う人は合うけど合わない人は合わない。それは艦船擬人化界隈で学びました。

で、これは元相方だけじゃなく、他の人にもたまに言われるんですが、雑談とかだと結構ふざけるんですが、真面目な相談とかだと、人が変わったように真面目になるんですよ。というか、このブログを読んでる人にとっては、逆にわいがふざける人間だって聞いて、驚く人が多いかもですね。真面目な記事ばっかですもんね。そらそうだ。

まああの、笑い話にするとこはするんですが。わいのオタクを自称してる奴が、わいの名前を「晴雲空」って書いた時は、大いに馬鹿にしましたけどね。あれは面白かった。当人には申し訳ない――とは思ってませんが。だって間違う方が悪いし。でも、それも別に単なる笑い話で終わってるので。

他にもまあキレる事はあっても、必ずわいも謝るようにしてます。どっちもどっちだと思ってるから。

元相方に関しても、まあ色々ありましたけど、基本的に全然気にしてないんですよ。引きずってる所はあるけど、だからと言ってじゃあ馬鹿にするかとか、そういう気はなくて。

付き合ってた時、書いていいか分からないので詳しくは書かないですが、本人的にはすごい気にした部分があって、それをわいに言った時、「まあそういうこともあるよね」的な態度で終わったのが、すごく助けられたそうで。

まあでもそれも、わいにとっては「仕方ない」部分で。「仕方ない」ってのは、なかなか自分でどうにか変えられない部分のことです。わいで言うとこの、人付き合いが苦手とか、考えすぎるきらいがあるとか、そういう。

だって、そこを否定して怒ったところで、何になるんですか。これは別にネガティブな意味じゃなくて、簡単に変えられない部分を変えようとしたって、本性に近い部分であればあるほど変わりにくいもんですし。それはわいが元相方と付き合ってた頃に、よくわいのそういうとこで喧嘩してたんで、自分がよく知ってるから。

だったら、否定するより受け入れて、どう寄り添うか考えた方が、よっぽど平和的だと思うんですよ。それは別に元相方に対してだけじゃなくて、皆に対してわいはそう考えてます。

施設に行ってたとか、ヤクやってたとか、そういう過去の話をされた所で、わいが頭ごなしに非難したって、その人の過去は変えれないんです。だったら、その人とどうしたらより良い関係を築けるのか、って考えた方が、お互いの為になる。

まあ悲しいかな、とあるフォロワーの方には、あまりそんなわいの行動は刺さらなかったみたいですけど。まああっちは友達多いしな。別にいいです。そういうことばっかりだったし。今までも。

だからあんまり、芸能人のヤク報道も気に食わないっちゃ気に食わないんですよね。そりゃあ芸能界なんて思ってるより過酷だろうし、逃避の手段として選びたくもなるだろうと。

別にヤクの存在を是認する気は無いですが、責めるよりもそういう考え方の方が、よっぽど再発防止になりますよ。なので、ピエール瀧の時は、石野卓球がいて、電気グルーヴも解散しない、「友達っていう縁は、そんな事じゃ切れない」って言った時は、石野卓球を賞賛したもんです。ああいう考え方が、今後のその人を支えるんです。

ま、こういう思考を手に入れられたのは、今の大学に入ったおかげです。やっぱ心理学を学びつつ、精神保健とかも学んだし、故に辛くなったりしたけど、結果的に弱さに寄り添う事を覚えられたので、儲けもんだと思ってます。わい自身の弱さにも寄り添えるようになりました。でもこれは、そんな元相方のおかげの方が大きいです。あとはamazarashiの歌詞のおかげでもある。

 

そういう話をしてました。「カウンセラーになれば良かったのに」って言われて、元々高校二年頃からそういう思考してて、カウンセラーになりたかったので、ほんとになーって思いましたけど、ま、カウンセラーは無理です。あまりに人の痛みに入り込みすぎて、カウンセラーとクライエントの関係を保てない気がするので。んでそこで「それじゃあ人事の仕事は?」って言われて、「その手があったか」って。あっちはあっちで別の大変さはあるだろうけど、相談役ぐらいは務められそうだし。今受けてる会社がダメだったら、もう一年フリーターしながら仕事探す気でいるので、その時探してみようと思います。

 

なんか書いてたら、やっぱり元相方との相性は良かったと思うんだよな。普通に。艦船擬人化やってた時に荒れてなかったら、今でも付き合ってたんだろうなと。だから余計辛いんですけど。

まあでも、あの時感じてた温みがどこかあるので、それで良いっす。今笑い合えるようになっただけ幸せです。何だか先の電気グルーヴピエール瀧石野卓球の関係みたいですね。

いつか石野卓球の「電気グルーヴピエール瀧のポジションはピエール瀧」「あいつは家族みたいなもん」って言ってるみたいな関係にならないかな。いや少なくとも今は無理だな。あっちに彼氏いるうちはな。くそったれ。

 

そんな感傷的な今夜のお供も、amazarashiの『鴉と白鳥』です。わいも秋田ひろむみたいに歌上手かったら、こういう温かい歌も歌えたんだろうけど、声質的にもわいには無理なので、わいはわいで、小説でそういう話を書こうと思います。頑張ります。

 

また書きます。おやすみなさい。

 

「ここにいるべきじゃないよ もっと相応しい場所があるよ」
君はそう言い旅に戻った 白い羽根が空に際立った
同じ色に交れば普通で 他に交れば僕ら除け者
所在変われど僕は変わらず僕である この羽根と等しく
そんな僕を僕は誇るよ

 

この羽根が黒く 忌まわしくはためくのは
僕が僕である痛みに羽ばたくから
声が酷く耳障りなのは
憎たらしい人生を 未だに罵り続けるから

鴉と白鳥

鴉と白鳥

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