https://seikagezora.hateblo.jp/entry/2018/06/19/004235
晴曇空です。
昔からわいは誰かを優しくする事で、存在意義を感じてました。
困ってる人をどんどん助けて、辛い人のそばに寄り添ってあげて。それがお節介と言われても、それが正しいと信じて疑わなかった時期が、わいにもありました。そうすれば、きっと誰かが同じように、優しくしてくれる日が来るって、そう思ってました。
ま、結果としてそんな事はありませんでしたけどね。
そうすることで、確かにわいっていう人物の株上げには一役買ったのは事実です。でも、結局わいっていう人間がなってなかったから、人が離れていって、今日に至ります。
最近思うんです。「優しくする」ってなんだろうって。多分この言葉を見たら、誰かは嗤うんでしょうけど、でも、実際考えてみると分からないもんですよね。
「優しい」っていうものの尺度って、結局人によるんじゃないかなって思うんです。
今日今夜、めちゃくちゃ苦しくて死にたいっていう人にとっては、わいが「あなたは必要だ」と手を差し伸べたら、それだけで『優しい人』ってなり得るし、それが響かない人もいる。「お節介」だと振り払う人もいる。
わいはずっと「優しい人になりたい」って言ってきました。そんで、元相方にしても誰にしても、寛容でいようって思って生きてきました。
そのおかげで、割と寛容な人間にはなれましたけど、でもこれって多分「優しさ」じゃないんですよね。許せるは許せるけど、それが優しさか、って言われたら違うんじゃないかなって。
そしてさっきの話に当てはめて考えると、一体わいは誰にとっての「優しい人」になりたいんでしょうか。
元相方に対してなのか、少ない友達に対してなのか、フォロワーに対してなのか。それとも、知らない誰かに対してなのか。
100人に100人優しくするのは、やっぱりわいには無理です。キャパが足りない。
だからこそ、誰かにとってのそういう人でありたい。そう思うんですが、じゃあその「優しさ」ってなんなのか、ってところに頭をひねってます。多分一生かかっても分かんないままなんだろな。
なんか言いたいこと分かんなくなってきたので寝ます。おやすみなさい。また書きます。