意味不明人間の朗らかな破壊

2013年末から書いてる、三流脚本家の与太話。完全不定期で更新。一方通行の近況報告。

12.3 - 2 - 創作やってて他人からの評価に思い悩んでる人へ

晴曇空です。

最近あまり詳しい事情は分からないんですけど、「作品の評価に対しての捉え方」みたいな話題が知り合いの間で出てるので、知らないながらちょこっと書こうかなと思います。ちなみにわいの話じゃないです。いや、わいもそういう時期長かったですけど。

 

わいがどういう人だったかは、もう言わなくても分かる方多いでしょう。一言でいえば、評価欲しいモンスターでしたね。今でも多少その気はありますけど、だからと言って、今はそれを中心に考えている訳ではないです。

で、まあ全部じゃないにしても、周りの見解、というか意見を見たんですよ。んで、まあそういう人たちの意見を否定する気はない、と言う前置きをしてから言わせてください。

 

知らん!!!!!!!!!!

 

って昔のわいなら言ってた。でも今でもそう言う。

大方、「評価されない、って嘆くのは今応援してくれている人に失礼」みたいな感じですけど知らん!!!!

去年の自分の思考を掘り下げてみれば、確かに一人二人は読んでくれる方はいましたよ、確かに。けど、結局RTもいいねもあまりなかったし、そういう人たちの為に作品を作るのが当たり前なら、その人たちがいなくなったらどうするんです?0ですよね???じゃあRTとかいいねしてくださいよ、っていうのが去年のわいの思考でした。文面だけ見れば、まあ反感買っても仕方ないかな、とは思います。

でも、じゃあ実際、例えばその人が「読んでくれる人がいない」とか「ファンなんていない」って言って、嫌な気分になる人ってどれくらいいるんでしょう。

例えば自分が作家なら、「そう言っても読んでくれる人いるじゃん」って思うかもしれないですけど、読み手の立場で思う人はどれくらいいるんでしょう。そもそもの話、そういう話すら見てないような気がします。この数年で、わいはそれを目の当たりにしました。つまり、作家側があれこれ思ったとて、言ったとて、見ちゃいない訳です。読み手側は。

嘘だと思うじゃないですか。でも、よっぽどコアなファンでなければ交流しようとは思わないんですよ。コアでもタイミングが合わなかったりすれば交流なんかしない。これはこの一年の学びです。

そして、これは完璧にわいの偏見ですが、「せっかく応援してるのに……」って思う人は、多分応援してる気でいて「応援してあげてる」って思ってるだけの人が多い気がします。偏見です。多分どこが好きか、って聞いても、ぼんやりとした答えだけしか返ってこない気がする。まあ、もちろん純粋に応援していて、でもそういう発言を見て「応援してるのにな」っていう人もいるだろうけど。でも、大体は見えざる声だと思うんです。

 

この一年、色々と頑張ってきました。そのお陰で、去年まで無かった自分の作品への自己肯定感を付けることは出来ました。そんな感じで、同じようなどん底にいて苦しかったヤツから言えるアドバイスと言えば、とにかく「自分の見たい作品を、無我夢中で創ってほしいな」ってことです。

わいはかなりのひねくれ者なので、未だに「自分のファンなんて」って思う時はあります。というか、ここ最近は昔みたいに独りなので、そう思う事もしょっちゅうです。

それでも不貞腐れずにやれてるのは、自分の書きたい世界が、ようやく1ミリだけでも書けるようになったからです。そうするまでに、今年だけで100作品以上かかりました。

いやでも分かります。そう分かってても、なかなかうまくやれないし、創ってる途中で「やっぱりクソだな」って思う気はわかる。でも、そう思うのは、ひっくり返せば「自分ならまだやれる」と、心のどこかで思ってるからじゃないでしょうか。表に見えなくても。

自分の作品はこんなもんじゃない、もっとやれるはず。それなのにどうして出来ないんだ――そう思うことがあったんなら、わいは、誰が何と言おうと、あなたは伸びしろがあるんじゃないかな、ってそう思うんです。上からみたいで申し訳ないっす。言葉下手なんて許して。

わいがそうでしたけど、そう思っているうちは、一歩先に進むためのトリガーが見えなくなっているもんです。そんな感じだった今年初めのわいの、起死回生の一撃になったのは、「離れていった知り合いを見返してやるんだ」という、ある種の復讐心でした。

 

でも、それをTwitterとかで書くのは違います。心の中に秘めて、虎視眈々とその時の為に弾を込めるんです。「今に見てろ」っていう反骨精神が爆発したとき、一歩でも二歩でも先に進めるようになると思います。音楽のロックが生まれたのも、反骨精神が根底にある、っていう話があるぐらいですからね。

わい自身、そのトリガーに気付くまで2年かかりました。だから、時間はかかると思います。ただ、厳しい話、この長い夜を越えれないと、クリエイターは向いてない。他の人もそう言うだろうけど。でも、「やっぱりだめだ」と思っているうちはまだ大丈夫です。本当の終わりってのは、何もかもやめた時です。

わいはその終わりを何度も何度も経験しました。それでも、小説ってもんしか存在意義が無かったから、ここまで這い蹲ってやってきました。誰も分かってくれる人はいなかったし、理解してくれる人も少なかったです。

でも、それでも、走ってきました。自分酔ってる、って言われたこともありましたけど、ぶっちゃけ創作ってのは、自分に酔ってないとやってられないっす。正味。「こんな作品書けてる俺TSUEEEEEEEEEEEEE」ってしてなきゃ心折れちまいますよ。それこそ、赤の他人の声だけでぽっきりと逝ってしまうもんです。

 

最初も言ったと思いますが、わいはそういう人間だったので、「評価してないことを嘆くのは、今応援してる方に失礼だ」という声に対しては、申し訳ないけど未だに首を捻る側の人間です。

でも、誰かに評価してもらえないと、新しい人がやってこないのも事実です。だから、その人たちが「これは良い!」と拡散したくなるような作品は創るのが大切なんだ――それは知り合いも言ってました。けど、多分そこまで行くにも時間がかかるのを、わいは知ってます。その人を取り巻く環境が大きいですから。

フォロワーが多くたってなんだって、ちゃんと作品を見てくれる人が少なきゃ、そういうムーブメントだって起きやしない。その事実に打ちひしがれる気持ちは、痛いほどよく分かります。わいの去年までがそうだったから。

だから、わいはちょっと視点を変えて、あなたが抱えてやまない起爆しない起爆剤の点火の手段を一つ書いてみました。やるかやらないか、信じるか信じないかはあなた次第です。でも、これは投げやりな言葉でも何でもなく、限りなくあなたの決断に寄り添おうと思っての言葉です。どっちを選んだってわいは構いません。仮にやらない、って道を選んだって失望も何もしません。だって事情を知らない赤の他人ですから。わいもまた。

でも、同じ穴にいて、周りの人たちが分かってくれない悩みに泣き腫らしてきた側の人間なので、お節介ながら書かせてもらいました。

 

これは一個人に宛てた手紙ですが、同じように鬱屈してる人に向けての手紙でもあります。これを読んで、言い方は悪いですが、「過去にああいうことしたから、そういう事になってるんじゃん」と思う人に対しては宛ててません。あくまで、日陰者のひそひそ話です。反省してないわけじゃないですけど。それなのに今年も似たようなことはやったんで、そこは自分でも呆れてます。

でもまあ、「読まれない・見られない」と、人からの評価を見て悩んでたヤツだから言える事がある、って思ってたので書かせてもらいました。

そういう事で鬱屈しているあなたが、一年後数年後、いつになるかはわいも分かんないですけど、それを払拭するぐらいの作品を書けるようになっていることを、わいは応援してます。誰だか分かんないけど。

でも、最初でも言いましたが悩む、ってことは伸びしろはあります。だから、せっかくの歩みを諦めないでください。夜が長い人間だからこそ創れる作品があります。嘘のようで本当の話です。嘘だと思ってとりあえずやってみてください。それが嘘だったら、わいを恨んでもらって構いません。

 

だけど、最後に一つだけ注意です。絶対に誰かを傷つけることはしないでください。反骨精神は大切ですけど、それを誰かに振りかざすのはダメです。わいがそれやったんで。絶対にダメです。あなたが悶々とするものを、あなたが武器としたいその創作に、全部ぶつけるんです。ま、そこでも個人を傷つける内容はダメですけども。

それでも、今日のその恨み辛みは、創作に対しての大きい爆発力になることは間違いないです。その恨み辛みは、他人が持たない、似たようなものはあっても、同じもの一つとしてない、強力な武器になります。

平和な世界征服を以て、そんなあなた自身が、いつか、今日のあなたに「ざまあみやがれ」と満面に笑える日が来ることを祈ってます。十分頑張ってると思うので、わいは「頑張れ」とは言いません。その代わりの言葉です。

 

では、またどこかで。いつか笑って会えることを楽しみにしてます。会わないかもしれないけど。とりあえず、お疲れ様です。たまにはゆっくり休んでくださいね。

 

 

三流脚本家より