意味不明人間の朗らかな破壊

2013年末から書いてる、三流脚本家の与太話。完全不定期で更新。一方通行の近況報告。

5.26 - 1

晴曇空です。

 

amazarashiの『末法独唱 雨天決行』見てました。

BDの方を買ったので、配信より綺麗な画質でめちゃくちゃ良いんですけど、『無題』見てたら心が苦しくなって見るのを一旦止めました。amazarashiのライブで初めてです。見るのやめたの。

 

このブログの古い読者の人なら、わいにとってのこの『無題』の思い入れを知ってる方いるかもしれないんですけど、本当に強い思い入れがあって。確かオンタイムで聴いたときも泣いた気がするんですけど。

 

最初は好きで小説を書いてて。誰にも読まれなくたって、自分が面白かったから良くて。だから、どこまでも書けそうな気がしてたんです。それが本当に楽しかったから。

けど、瑞加賀の二次創作を始めて、読んでくれる人が出来て、それが嬉しくて、わいは一心不乱に小説を書き続けました。そして同人誌も数冊出したんですけど、段々売れなくなっていって、それに読まれなくなっていって、それに耐え切れなくて泣いて。

それを相変わらず繰り返してるわいが居て、本当に馬鹿だなって思うんです。けど、それぐらい死ぬ気でこっちは書いてるんですけど、でも読み手には伝わらないんですよね。

 

今日アサルトリリィ二次創作の読者の人と喋ってて、昨日出した詩集の話をしたら、なんだかどうでも良さそうな反応だったんですよ。それ聞いてて、まあ知ってはいたんですけど、やっぱり晴曇空っていう作家には何の価値もねえんだな、って思って。

結局誰も『晴曇空』っていうネームバリューは何の興味もないんですよ。わいがどんだけ死ぬ気で書いたって、同じ熱量で作品を生み出したところとて、この目の前の雑踏を行く人たちには、宛らそこら辺の広告と大差ないもんなんですよ。「そういうことを言うんじゃない」って誰かは言いそうですけど、それがめちゃくちゃ悔しくて、何よりも悲しくて。何のためにやってるんだろうって。

 

アサルトリリィ二次創作で、それなりに評価してもらえる事が増えたから、それにかまけてたのかもしれません。そりゃあそうだよな、そこら辺の人にとっては誰が書いたって『アサルトリリィの二次創作』であって、別にその作者が好きな訳じゃないんだよな。

昨日ぐらいに、相互じゃないんですけど、フォローしてる、あるアサルトリリィのファンアート描いてる方が「応援したいのは、アサルトリリィであって、アサルトリリィのファンではない」ってことを言ってて、本当そうなんだよなあって思ってしまいました。そらそうだよな。

別に今でもアサルトリリィ二次創作は好きだからやってるけど、本気でやめたいって思ってしまった。でも、きっとやめたいって言ってやめたところでどうせまたやる未来が見えるし、別にやめませんけど、結局昔のわいとなんも変わってないじゃん、ってなって遣る瀬無くなってしまった。

 

『どうせ誰も助けてくれない それを分かって始めたんだろう』

amazarashiのジュブナイルの歌詞が痛い程刺さります。確かにアサルトリリィ二次創作を始めた時は一人だったし、きっと創作ってもんはずっと独りの戦いなんだよな。

孤独前線、って昔はよく言ってましたが、もう一度言い聞かせなきゃいけないなあって思いました。

 

孤独前線。

もういっそのこと、誰とも喋らずにやってやろうか、なんて思いましたけど、それが出来たらきっと艦船擬人化でも苦労しなかったんだよな。

でも、今度またこういう自分を越えられる作品を書けるようになるまで、どこかに逃げ出してやろうかって思います。

明日なき未来への逃亡です。ボイコットです。

同人誌は予定通り出しますけど。まったくもって不甲斐ない。

 

けど、

『君が君を嫌いな理由を 背負った君のまま 成し遂げなくちゃ駄目だ

僕は讃える君らのジュブナイル 向こう見ずだっていい 物語は始まったばかりだ』

『誇り高き少年少女 それでも曲げぬ自分の意志を 未だ枯れない表現欲と

無謀さを武器に駆ける浮世

君が君で居られる理由が 失くしちゃいけない 唯一存在意義なんだ

ここに讃えよ愚かなジュブナイル 最後の最後に笑えたらそれでいいんだよ

物語は始まったばかりだ』

そう言うジュブナイルの歌詞を携えて、見返してやろうと思います。

 

どうせ一人なんだから、好きにやらせてもらいます。進退も、開拓も。

 

また書きます。

今に見てろ。