意味不明人間の朗らかな破壊

2013年末から書いてる、三流脚本家の与太話。完全不定期で更新。一方通行の近況報告。

3.21 - 自分を超えることは容易いことじゃない

晴曇空です。久しぶりに創作のことについてとかとか。

お陰様でアサルトリリィの二次創作も二年目になりまして、色々と企てている最中ですが、ふと考えたことがあったので、書き綴っておこうかな、と思いまして。

 

昨年の今頃からでしょうか、元々根幹にあった『アサルトリリィをもっと好きになってもらう二次創作』の他に、元相方や昔、迷惑をかけた人たちに対して、「今に見てろ」っていう、ある種の復讐心が生まれて、より良いものを、見返して貰えるものを作ろう、と躍起になっていました。そもそも自分のせいでこうなっているのに、それを「見返そう」だなんて、生意気にもほどがありますが、それはまあそれとして。

結果として、全員が全員って訳ではありませんが、それでも、一番見返したかった人に見返せる程の作品がこれでもか、って程出来ました。そして、一番見返したかった人に「良くやったね」と言ってもらえるところまでやって来れました。

わいとしてのそんな『復讐劇』は、その時で既に終わりを迎えて、そして今は、明確に「こうしたい」っていうビジョンが見えずに、悶々としている日々を送っています。

 

そんな中、ふと「その時々に書いた作品を、今の自分が模倣するのは難しいなあ」と思ったわけです。とはいえ、今創作をやめたいのか、って言うとそういう訳じゃないんですけど。

わいは今、その頃の作品を超えるような作品を書きたい、ってここ数か月言ってます。けど、色々書いてみても、それを超えられないのは、やっぱりその頃のハングリー精神を、今のわいが持ち合わせてないからだと思っています。

そう言う出来事に依存した、ハングリー精神っていうのは、その物事が解決した後は綺麗になくなってしまうもんです。そもそも二年前だかのわいは、そんなハングリー精神ですらも無かったので、それと比べれば、そう言えるようになっただけマシなのかもしれませんが、それでも今現在、そういうハングリー精神が無い頃に戻ってしまったような気がしてまして。

でも、それじゃあそれを思い出すために、その頃の作品をリメイクしてみようか、ってなるんですが、なんだかそれもしないほうが良いよなぁ、って思ってるわいがいます。

確かに、今のわいの方が、表現的なものや、作話のやり方はうまくなっているのかもしれません。けど、その頃のわいに見えてた情景だとか、その作品に対する想いなんてもんは、思い出すことは出来ても、形としては全く違うものだと思うんです。

だって、それから時間が経って、色んな景色や反応を見て聞いてきたわけですが、それらのフィルターがかかった上で見るものが、果たして同じものか、と言われたら、自信を持って頷けないわけで。少なくともわいは。

もちろん、リメイクに関して、別にわいは否定したいわけじゃないですよ?わいも何回かリメイクしてますし、今の艦船擬人化だってその類になるわけですが。でも、あの当時のアサリリ二次創作は、そう思ってしまうほどの熱量がすごい、ってだけで。

そしてその熱量を超えるほどの熱量を、今のわいは持ち合わせていないんです。よく言えば「出し切った」とも言えるんでしょうが、言い方を変えれば「そこまでだった」とも言えるわけで。現に、未だに読んでくれる方はいますが、それでも周りのクリエイターの方々には勝ててないわけで。昔感想をくれて、RTとかしてくれてた人も、最近はいいねだけだったりとか、如実にそれを表しているんじゃないかな、と思う訳です。そして、あの頃あった「俺の作品は一番だ!」っていう気概もいつの間にかないわけで。

 

先ほども書いた通り、創作をやめたいとか、そういう事は今はもう無いです。わいにはこれしかないから、っていうのが、未だに理由として一強ですが、それでも、わいにしか書けない表現がある、っていうのを知っているからなのもあります。そして、それを「好きだ」と言葉で言わなくとも、読んでくれる人がいるってだけで、「まあ続けてもいいかな」って思います。

でも、現状のままで良いのか? って問われたら、このままで良い訳はない、と思ってます。昔よく言ってた、ウェブクソの言葉を借りるなら、『俺はこんなもんじゃねえ!』とすら思っています。

2周目

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だけど、あまりに過去の自分が強大すぎて、どう抗ったら良いか、その術を見いだせないでいます。

ぶっちゃけ言うと、「他の人だって書いてるわけなんだし、わいが書かなくてももう良いかな」って思う日はあります。

けど、わいの言葉で、わいの感性で、「わい」っていうクソ人間の人生の経験を基にした物語は、わいでしか書けないんです。赤の他人には、わいの書いた詩の一行だって盗めやしないんです。

明日には大人になる君へ

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同じような経験や考えを持っている人が、幾らわいの表現を真似しようとしたって、その人がどれだけ天才であろうと、一字一句違わずわいの作品を模倣することは出来ないんです。それはあくまで「わいっぽい」作品なだけで、わいの作品ではないからです。

だから、わいの作品を「好きだ」と言ってくれる人がいる限り、諦める訳にはいかないんです。それでも、過去の自分になかなか勝てない。どんどん没落していくだけの現在に、焦りすら感じています。でも、その焦りがあるうちは、きっと昔のような『神作』は書けないんだろうなあ、と思います。

 

そういう事を書いていると、amazarashiの歌詞にある「才能不在」という言葉が、頭をよぎります。

でも、不在なだけであって、もしかしたらいつか帰ってくるかもしれない。いや、秋田ひろむが今、あの舞台に立っているのなら、いつか帰ってくるんだと思っています。

少なからず、「文を書く」と言う才能はあるのだから、それを生かすも殺すも自分自身なんです。それに気付けるようになっただけ、わいはまだやれるのかもしれません。

未だ雨降る日は多いですが、でも、そういう日に口ずさむ歌があることに感謝したいと思います。そして願わくば、いつか誰かが苦しいときに、わいの作品が、その肩を濡らす雨の傘となり得るのなら、わいの今日の苦悩も晴れて、留守にしている才能も帰ってくるのかな、と思います。

 

ま、たかが趣味で、ここまで悩み続けてる作家もわいぐらいなんでしょうがね。

 

また書きます。

 

 

才能不在。

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