意味不明人間の朗らかな破壊

2013年末から書いてる、三流脚本家の与太話。完全不定期で更新。一方通行の近況報告。

6.16

ばんちゃ。晴曇空です。

 

四日前の鬱々期もとりあえず過ぎ去って(というか見ないようにして)、ボケーっと過ごしてます。

 

BF2042の発表やBFの日本Discordサーバーが出来たのもあって、最近は専らBFばっかやってます。ちょこちょこ昔からやってましたけど、チーターとか一試合が長いから、一人でやっても精々2時間くらいだったんですが、DiscordサーバーのおかげでVC繋いでやる事が増えて、平気で3時間とかやっちゃいます。このゲームこんな楽しかったんだ、って思いました。いや元々好きだけどね。

それの影響もあって、BF4のキャンペーンもようやくクリアしました。昔動画撮ってた時に何回かやったことあったんですけど、当時は今以上にエイムの立ち回りも下手だったから、詰んだりしてやる気無くなってやめてたんですけど、ようやくクリア出来ました。

ストーリーがやばかった。英語音声の日本字幕でやってたから、戦闘中の台詞とかよく見れてなかったけど、マルチ中心のゲームで「こんなにストーリー濃かったんだ!!」って思いました。最近アサルトリリィとかで、戦闘系の話を多く書いてるから、良いインプットになりました。BF2042にキャンペーンモードないのが悔やまれる。

 

あとは電ホビで連載開始した、アサルトリリィの新潟奪還戦の話。めちゃくちゃ良かった。

連載開始って聞いた時、丁度裏で新潟陥落の話を考えてただけに、「やられた!」ってなったんですが、この感じだとまだやれるか……?!どうなんだ……?!ってなってます。

そろそろ公式から怒られるかな、ってビクビクしてますが、多分ここまで命知らずの事やるような奴はわいだけだと思うので、今準備してるもう一個の話共々、何かしら爪痕を残そうと四苦八苦してます。

宣伝効果多分ないと思いますが、新潟奪還戦の話はこっから読めます→https://hobby.dengeki.com/news/1274353/

隔週で本編と解説来るみたいなんで、何卒。これで見逃してくれ。ダメか。そうか。

 

っていう話もありながら、創作についても諸々考えてました。4、5日前の話にも関係があるんですけど。

最近色々な――特にアサルトリリィの地域奪還戦の情報を漁っていたり、今準備してる話を考えてたりして、『シリアスって何だろう』『幸せって何だろう』って考えてます。『幸せって何だろう』ってとこはこの前の記事で書きましたかね。

わいもメリーバッドエンド書くのが好きだったり、反対に絶望から希望を描くのが好きな作家の片割れだったりするんですが、戦闘系のシリアスを描くにあたって、やっぱりどうしても「誰かの死」っていうのは避けて通れないわけです。逆に誰も死なないでシリアスを書ける人は、本当に尊敬します。

で、まあ色々と考えてたんですが、創作上で人を殺すのって簡単なんですよ。1人殺すのも100人殺すのも、言ってしまえば一緒なわけです。

けど、シリアスを書く上で、本当にそれで良いのかな、って思ったりして。

昔BFプレイヤーの方が、「スポーンした兵士一人一人に、背景があるって考えてプレイしている」っていう話をしていたのを聞いたことがあるんですが、真面目にシリアスを描くなら、その死んだ一人一人の重さを考えるべきなんじゃないかなあ、って考えてました。

 

わいが今準備しているアサルトリリィ創作ってのが、わいの住んでる静岡が攻撃されて陥落する話なんですが、陥落すると考えると、一般市民なりリリィなり多くが亡くなる訳です。まあ、設定を考えている間、そこまでそういう所を考えてた訳じゃないんですけどね。

けど、ふと思ったんです。1人死んだ時は悲しむのに、100人死んだ時の重さって、1人の時よりも軽く扱われてる気がしたんです。創作でも現実でも。

もちろん創作に関わらず、100人紹介したり細々説明するのは骨が折れるし、聞いてる側もしんどいので、そこまでする必要はないと思うんですけどね。だけど、結局創作とかだと、最後は主人公の方に気持ちが引っ張られてって、その死んだ100人の気持ちが乗っかってない気がするんですよ。なかなか難しい話なんですけど。

「死人に口無し」とはよく言うもんで、結局死ぬキャラとかって、そんなに設定組んだりとかしてないことが多いんですけど、逆に主人公とかばりに組んでた方が、そのキャラが死ぬ時の重さが出るんじゃないかなあとか思いつつ、でも100人分作るのはしんどいよなあ……とかとかブラブラ思ってました。んで、そういう事をアサルトリリィ創作で出来るだけ表現してやろうと思ってます。

 

アサルトリリィにおける地域が陥落する、ってことは、多くの人の想いが届かなかったって事だと思ってます。そしてそれを取り返そうって言うのは、そこへの思いが桁違いに強いはずなんです。それは皆分かってると思うんですけど、きっと書いてるうちに、読んでるうちに忘れてっちゃうと思うんですよね。

それを意識しながら、わいが中学校の時に死ぬほど好きだった、『終焉ノ栞プロジェクト』のストーリー書いてたボカロP、スズム(今でも復帰待ってるんですけどね)が作中に書いてた『とびきりバッドエンドにするには、その直前をうんと幸せにすればいい』って言う言葉。今でもこれは、わいのシリアスを書く上での指針ですが、そこにamazarashiの『カルマ』とか『千年幸福論』の歌詞観、わいの中の幸福論や視点、全部を引っ括めて生まれた今のわいのシリアス論を加えて、アサルトリリィ創作を書いてます。公式にキレられる覚悟で書いてます。

というか、それだけの物を、わいは書いてみたいんです。どう足掻いても公式の制作チームには手が届かない訳ですから(関われるなら関わりたいです)、それなら好き勝手(アサルトリリィのイメージを崩さない程度に)やってやろうと思います。それ故のこれです。

 

読んでて苦しくなるかもしれません。もうやめてくれ、って言いたくなる瞬間があると思います。というか、そういう瞬間が読み手に来るような作品にしたいと思っています。

でも、晴曇空っていう作家は、それで終わりにはしません。しっかりと落とし前はつけます。100の絶望に500の希望でひっくり返すつもりでいます。それがわいの作風だと信じてますから。そしてその算段はもう立ってます。あとはもう走るだけ。

 

わいの報われない時代は続きます。そういう時代で、そして、現実主義で反現実主義だからこそ生まれたアンチテーゼを以て、アサルトリリィ創作『消えたプレアデスの後悔』と、後続の『ペテルギウスの光が途絶える前に』を、7月からお送りする予定です。

 

やむにやまれなかった、だけど諦められなかった想いを背負った、彼女達の行く末を見守って頂けたらと思います。見ていろ〜〜公式〜〜。

 

なんの話だっけ。まあいいや。

また書きます。

 

https://sites.google.com/view/lost-pleiades