意味不明人間の朗らかな破壊

2013年末から書いてる、三流脚本家の与太話。完全不定期で更新。一方通行の近況報告。

3.29

晴曇空です。

 

最近晴れたり曇ったりを繰り返してます。晴曇空の由来に近い空模様です。

 

久しぶりに「どうして創作をしてるのか?」って言う問いについて考えてました。

この問いももう考え続けて長いんですけど、アサルトリリィの二次創作が楽しくて書いてるんで、何かしら考え変わってるかな、と思ったんですが、これがなんとびっくり、何にも変わってないんですよね。

いや、創作への熱意が無くなったわけじゃないんです。それは本当で、今も細かい話をちまちま書いてて、それはそれで楽しいんですけど、じゃあそれを一番に取るか、って言われたら、多分言わないんだろうなぁ、と思って。

確かに、昔よりは今の方が絶対環境は良いはずなんです。固定で読んでくれる人もいるし、最近上げた作品は、今でも軒並み瑞加賀作品を超えるぐらいには読んでもらって、それはそれで嬉しいんですけど、でもなんか違うなあって。

 

もうそろそろamazarashiの10周年ライブで、すごく楽しみにしてるんですけど、最近APOLOGIESの「秋田ひろむへの質問」を読んでて、そこに『僕らファンに向けて質問したいことはありますか?』って言う質問に、『10年後、amazarashiを聴いていると思いますか?』って言う回答があって、それが最初に見たとき以降、ずっと僕の中にあって。

もちろんわいが投稿したわけじゃないんですけど、10年って、文字では短いように見えるんですけど、実際は滅茶苦茶長い月日なんですよね。そしてわいもなんだかんだ創作続けて13年目なんですが、その当時からのファンっていないわけで。

そんで、今わいのアサルトリリィの二次創作が好きな人も、多分10年後は読んでないんじゃないかなあって思うわけです。別に人として好かれている訳ではないし、そんな熱狂的なファンも――まあ一人いるけど――いないわけで。結局二次創作が好きなだけであって、わいの作品が好きな人って、実はいないんじゃないかなぁって思ってしまったんですね。

確かに、そう言うところを気にすると負けなのは、ここ数年で知ってはいるんですけど、ただ、やっぱりファンあっての作品、ってのも否定はできないわけです。商業で売ってる漫画や小説なんて言うもんは、特にそうで。

アサルトリリィの二次創作としての地盤は、それはもう今までで一番って言う程しっかりしたものが出来たとは思うんです。それはやっぱり2月の努力があってこその結果なんで、そこは純粋に誇らしいと思ってるんですけど。

でも結局、二次創作どまりなんですよねえ。4月から一次創作『Re:turn』も始まりますし、やってないうちから諦めるのも違うと思うんで、そこはしっかりとやって、一次創作でもファンを増やせたら、とも思うんですけど。

でもなんだかなあ……。ってちょっと思ってしまった。もう少し人に好かれるような奴だったら、もう少し読まれてたのかなあ、とか、固定ファンが増えてたかなあって思うと、遣る瀬無くなってしまいます。そう言う人が本当に近くにいたから。

 

ま、多分こういう話を書いてしまってるうちは出来ないんだろうなぁ。でもいつか、今のアサルトリリィ二次創作みたいに、もしかしたらどこかでそれなりのヒットを飛ばせるかもしれない、と思うとやるしかない、って思いもするんですけどね。

けど、この曇天じゃあ、そう言う希望も見えにくいよなぁ、そう思ってしまう今日この頃です。

 

また書きます。