空です。
新しい仕事、言うてもオープニングスタッフで、まだ店自体は空いてないですが、毎日毎日肉体労働が続いてます。もうしばらく忙しい時期が続きそうですが、そこそこで頑張りたいと思います。身体は大変だけど、精神的にはまだそんなに苦痛には感じてない今日この頃です。
もう長い間『日常の中にあるありふれた幸せ』を描こうと創作やってきたわけですが、この最近、「もう幸せな話なんて書けねえな」とか思っている最近です。
個人的に幸せだったというか、そう言う日々は無かったことはないですが、もうそれも遠い話だし、ここ最近はずっと世界を睨んでばっかな感じなので、そういうほのぼのした温度感を忘れつつあって。
一体どれくらいの人がこのブログを読んでるか分かんないですが、少なくともこの記事を読んでる人には、それなりの幸せを手に入れて欲しいと思うし、そうであって欲しいな、と思います。わいには多分もう無理なんだろうな、という諦めが年々強くなってる気がする。
そう思うたびに、毎度のように手のひらがじんじん痒くなるんですよね。だいぶメンタルやられてる気はするんですが、でももうそれも数年前からそうだし。
今更どうこうってこともないし、休職中に精神科も通院したけど、自分自身が何が辛くて苦しいのかも分かってなかったし、別段何か発達障害の診断があるわけでもなかったから、もうわいはお墨付きのクソ野郎なんだな、と思ってます。未だに友達って友達もいないし。
まあでもそういう人間だから描ける話はあるだろうし、ぼんやり色々思いながら創作は続けていきます。また裏で一個話は考えてます。新しい仕事の諸々でバタバタして進められてないけど、落ち着いたらもう少し世界観を作り込みたい。アウトローなやつです。
割と時間かかると思うんで、チラ見程度にどう言う話かを書くと、久しぶりに風刺効いたやつを書こうと思ってます。
高校生かそんぐらいの時は、いかに自分を皮肉るか、みたいなヒリついた感じでやってた記憶があって、そんな最近だからこそ、原点回帰するべきなんじゃないか、と考えたわけです。
登場人物の設定も固まりきれてないんで、まだどうなるかは分かんないけど、綺麗なところと汚いところ両方描けたらとは思ってます。それは自分に対してもそうだし、最近の世の中を見てて悶々としてるところとか、そう言うのをごった煮にしたやつをやろうとしてます。
綺麗なところを描こうと思えるのは、多分昔のそういう温かい記憶があるからで、その感覚は捨てないでいたい。それを否定してしまったら、昔の自分も、好きだった人のことも否定してしまう気がするから。来年ぐらいには始動できたら良いな。
そんな事を考えていると、昔の秋田ひろむがそんな感じだったのかな、と思ったりします。
今回のアルバムは全曲大好きで、割と色んな曲をリピートして聴いてますが、最近は「インヒューマンエンパシー」「ディザスター」「まっしろ」あたりをよく聴いてます。「インヒューマンエンパシー」は昔のamazarashiみが強くてずっと聴いてる。仕事終わりの「まっしろ」は毎回沁みる。
話はずれたけど、昔のあのエッジの効いた感じの曲だったりは多分こんな感じでできたんだろうな、とか。だからこそ、今こうやって続けていけば、いつか今の秋田ひろむみたいに、それを迎合して新しい方向性が見出せるのかな、と、今まで信じてきたようにやってこうと思います。昔の曲が好きとは言うけれど、最近のamazarashiの方向性は結構好きです。そう言う人になりたい。
いつか言われた負け犬の歌 それを担保にむさぼった
書き下ろした数千行と等価 最後につじつま合わせる僕等
ここが始まり 今日が旅立ち 君は幸い 死んじゃいない
他は知らなこれさえあれば どうせ死ぬなら世界の果てだ
無力感がうるさい夜は ヘッドフォンで耳を塞いだ
くそくらえと罵った声 自分に刺さり抜けない棘
もういいかと腰を下ろせば そんなもんかと夢が笑った
没後評価されて喜ぶ 作家なんているもんか
今夜
美しい過去を持てなかった僕らは
美しい今を掴むとしたら 汚れたこの手だ
見捨てた全てに笑う せいせいしたと手を振る
価値や負けなんか通じない この世の余所者として
生まれた場所は選べずとも 生きる場所は選ばせてくれ
インヒューマン インヒューマン 叫べ
また書きます。