意味不明人間の朗らかな破壊

2013年末から書いてる、三流脚本家の与太話。完全不定期で更新。一方通行の近況報告。

12.4 - 『創作をする意味とはなんだ』

昨日の2の記事(12.3 - 2 - 創作やってて他人からの評価に思い悩んでる人へ - 意味不明青年の朗らかな破壊)の続きみたいなもんです。今のわいの視点で少しだけ。

 

ついさっき、最近遅いながらハマってる「はじめしゃちょーの畑」の動画見てて、フラベジが始まる時に、新しく加入した人の一人が「辞めたい」って言って、それを相談する動画見てたんですよ。見てて辛くなっちゃって、途中で見るのやめちゃったんですけど。でも明日全部見ます。それで、ちょっと色々考えてて。

 

前回の記事でも書いたように、わいは今まで「創作を辞めたい」って結構言ってきた人間です。その理由は大体「読まれないから」ってのでしたけど。

今年もまあちょこちょこ思ったりはしました。「創作続ける意味とは何だ」って疑問に思ったから。でもそう考えるのも何年目、もう病気みたいなもんです。

そういう思考にならない人間と、なる人間って、色んな人を見て、自分を振り返って見ると、「その創作が自分からやりたい!」っていうのに重きを置く人と、「せっかく出来たから見て欲しい!」っていうのに重きを置く人に分かれるなあ、って思います。わいは完璧後者です。

わい的にはどっちでも良いと思うんです。やってて楽しいなら。でも、後者の方は茨の道なのは確かです。これはわいの経験談です。

 

あまり前者の経験が無いので、後者の話をしていきますが、「せっかく出来たから見て欲しい!」って言うのは、めちゃくちゃ簡単に言えば、幼稚園児がクレヨンで描いた絵を、先生に見せて「すごい」って言ってほしいのとほぼ同じ思考です。まあ多少なり違う人もいるとは思いますが。

けど、その頃と今違うのは、そうして見て褒めてくれる人は限りなく0に近いほど少ないんです。特にネットでは流れが早いので、雑踏で弾き語りするよりも、多分見てくれる人は少ない。突出する実力があれば、それでも立ち止まって見る人は出てきますが、その突出した人でさえ、今や埋もれる時代になってきました。

だけど、Twitterでは絵師さんを始め、あらゆる実力を持った人達が多く表舞台に出てくるわけです。何百何千何万人とフォロワーが居て、何千何万といいねやRTが付いてる作品がごまんとある。そうして自分の足元を見れば、3桁もいかない、いいねやRTの自分の作品がある。

これで最初から「負けてたまるか」ってなる人は素晴らしいと思うし、その人こそクリエイターの素質がある。それはわいもその通りだと思います。けど、わいみたいな人間は、そのギャップに酷く心折られる訳です。その実力ある人と同じか、それ以上に時間を掛けて作品作ったのに、って思った途端やるせなくなる訳です。

そうなるともうダメで、例えば自分のフォロワーだって、自分の作品にはいいねもRTもしないし、感想すら寄せてくれないのに、他の人にはRTもいいねも感想すら書いてるのが目に見えた瞬間、「誰も応援してない」ってなる訳です。まさしく負の連鎖。そうして立ち直れないでいると、潰れて去年の秋のわいみたいになるわけです。創作って地獄ですよ。マジで。

それでも、明るい話ばかりが溢れているから、そういうキラキラした人ばかり見てるから、「自分もきっと」って思ってやり始める人は増えていく。

それ自体は悪いことではないけれど、段々そのギャップに潰されていく訳で。天下のコミケだって、知名度が無けりゃ本は一冊も売れない。それを、二年前の冬コミでまざまざ見せ付けられました。地獄でした。一緒に出てた絵描きさんが悪い訳では無いんだけど。現実が見えてなかった。今でもその時の在庫抱えてます。

 

その反面、元相方はわいとは違って、0から着実に実力を付け続けてる人です。さっきの話でいえば前者に近いと思います。

当時、元相方が苦労してる姿を真横で指くわえて見てましたが、今思うとあの人の努力出来る力は才能級だと思う。というか、そもそも「創作をやりたい!」って思い続けられる人は、それ事自体が才能だと思う。向上心って、そう簡単に長く続けられるものじゃないと思うんで。だから何度も言うように、「すげえなあ」って思うし、憧れてるところです。

 

最初に書いたフラベジの動画の、「辞めたい」って言った彼の気持ちは察せるところもあります。よくある「夢と現実の違い」を、短いながら彼は感じたんだと思います。そしてその乖離は、1から築き上げた人には分からない感覚でもあります。わいと元相方がよく言い合ってた部分もそこに似てます。

向こうは着実に築き上げて、しっかりやってきた側。一方のわいは、途中参加のくせに、出来上がったコミュニティに入れないっていじけてる側。そりゃそうだろう、と今では思うけど、その乖離はずっと――元相方と縁切れるまで続きました。

 

んま、アサリリ二次創作やっててもなりましたけどね。ブログでも書いたし。けど、そこはもうケリ付けたんで。わいはわいで楽しけりゃそれで。楽しくないならやらなきゃ良い、楽しいと思ったらまたやる。それだけです。

けど、まあ去年のわいはそう思えなかったからな。それでも、やらないと元相方に捨てられる、って思って焦っての結果です。なんにもなんなかった。それだけあの人は輝いてたんです。

絵も着実に上手くなっていって、夢語ってて。わいにはそういうのなかったから。でも多分捨てられはせんかったろうな。わかんないけど。

 

そうして今、わいはというと、どっちなんか分かんないです。でも、一個確かに言えるのは、アサリリ二次創作始めて、秋前までは確かに『目標』がありました。「元相方を見返してやるんだ」っていう。あとは「ブクマ100目指すぞ」とか。

そうした未来に今立って、どっちもまあ目標達成してしまいました。絶対に達することないと思ってた「元相方を見返す」っていうのすら、まあ達成してしまいましたからね。3ヶ月ぐらい経った今も、どこかまだ信じきれてないです。

だからなんですかね。あんま小説書けなくなりました。創作のやる気はあります。二次創作も艦船擬人化も。けど、この半年強の反動もあってか文が書けない。ブログは書ける。不思議。

別にこれも元相方が悪い訳じゃないですよ。むしろ「もっと頑張んなきゃなあ」って思わせてくれるので、ありがたい存在ではあるんですけども。なんだかなあ……。

まあその代わりゲーセンの音ゲーのやる気はやばいっすけどね。あの人が出した曲のスコア越してやろう、とか、そういうのがあって、バチバチやる気はあるんですけど、いや、そっちじゃねえだろと。そっちも負けたくはないけど!僕がやらせたような物だし!後発の人に負けたくはない!!何なら今、あっちのほうが上手いだろうし!くやぢい!!

 

ただこれを創作にするってえと難しいんですよ。あっちはイラスト、わいは小説。舞台が違うんです。だから、こう、いい具合に競い合える基準がないって言うか。ま、去年はそれも分かってなくて、それで競おうとして勝手に死んでたんですけど。これこそ勝手にシンドバッド。違う。

刺激を受け合う関係性も難しいしなあ。表立って、あの人の絵を見てわーぎゃー言える環境じゃないし。わいのせいですが。

 

ま、手っ取り早い話、自分で目標を見つけるのが一番なんですけどね。さっきの話だって、また元相方と縁切れたらどうしようも無いので。

けど、その目標にしたい事案がないと言うか。つか、今年夏頃の必死さがないと言うか。今更、新規開拓も難しいし、だからと言って今の読者が求めてる様な話も書ける気がしないし、書きたい話も特にない。ふわふわと浮いてる感じです。

 

やっぱり艦船擬人化創作かな。読む人はそんなにいないし、多分去年のわいなら辞めてると思いますが、今は修行だと思ってやってるので。何も無い時じゃなきゃ、腰据えてやれないし、それでいい気がします。

 

でも本当、挫折ばっかだったなあ。苦しかったっす。「読まれない、評価されない」って愚痴っては、元相方に散々叱られて。挙句「そんなに嫌なら創作やめたら」って言われる始末で、そっからどんどん崩れていって。そこでよく言ったもんです。『創作する意味って何だ』と。

今でも意味は見つけれてないです。好きでやってるのか、誰かに読まれたいからなのか、昔からやってるからなのか。それでも、なんか、普通に仕事するより、部屋に籠って、ずっと小説書いてる姿が、ここ数ヶ月に脳裏にイメージとしてあります。

もうそろそろ本気で作家目指す所に来たのかな。それなら、「人を感動させるような話を書く」が目標になるのかな。でも、人を感動させるような話ってなんだ?そもそも良い話ってなんだ?

分からないので、とりあえず「自分が良いって思える話を書く」ってのを目標にします。そうすれば、また何か変わるかもしれないし。

 

そんな感じで。長くなりました。前回の記事がちょっと過去のわい寄りな事を書いたので、今のわいの話を書きました。これからも頑張ります。

 

それじゃ。また書きます。