意味不明人間の朗らかな破壊

2013年末から書いてる、三流脚本家の与太話。完全不定期で更新。一方通行の近況報告。

10年、思うこと

やったあ!連続更新中だ!!でも何も見返りはないけどね!!晴曇空です。真面目な話です。

 

あんまりこう、しっかりとこの日について書いては来なかったんですけど、実はそれでもしっかり書いてたことがありまして。

 

そして10年ですからね。真面目に書こうと思ったんですよ。過去の自分に見習って。

まず折角なので、一番上の記事の言葉を引用します。

どうも。晴曇空です。
僕にとって今日はちょっと大切な日でもあるのでこの記事はFacebookとかLINEのタイムラインに載せます。予めご了承ください。

さて。今日は皆さんご存じの通り三年前に東日本大震災が起こった日であります。この日をきっかけに僕に明確なモットーが出来た日と言えると思います。そのモットーとは、それはこの日記の後で。

三年前の今日僕は何をしていたかはまだ覚えています。三年前の今日は小学校の卒業式を間近に控え卒業記念品のオルゴールの箱に絵の具で色を塗っていました。地震発生時間、14時46分は6時間目の途中でした。この時間に校舎に大きな揺れがおそいました。僕は東北ではなく北海道の道南に住んでいたため直接的な被害はありませんでしたが、その時学校で見た津波の映像は初めて見た悲惨で、怖い映像だとその時の僕は思いました。勿論それはまったくの第三者的視点で現地の人々の苦しみや不安に比べては何十分の一にも満たない、いや、何百分の一かもしれない陳腐な感想でした。

その後もテレビも連日の様に震災のニュースを報道し、コマーシャルも全て自粛し公共広告機構のコマーシャルだけが流れていました。ただひたすら何も変わらない現状を僕はただ傍観(み)ていた気がします。勿論僕も物資を送りました。本とか衣類とか。 今はどのように使われているかは分かりませんが少しでも役に立っているのなら幸いだとただただ思っています。

三年経った今、被災地はどうなのでしょうか。テレビでは「未だに復興が進んでいるところは少ない」と報道しているところが多いのですが、実際どうなのでしょうか。僕は被災地に行ったことはないので詳しい現状は分かりません。でも外見は進んでいなくても被災者の方々は少しずつ前を向き始めている方が増えてきています。また漁業などの面でも復興してきているのではないでしょうか。しかし、一方で復興が難しいと言われている地域も存在しているのも事実です。原発事故だってまだ収束しておらず、自分たちの故郷に帰れない人もいます。また、まだまだ行方不明の方も多くいます。 

そんな中人に言えるような立場ではない僕ですが、言いたいことは「陽気に生きていますか」と言うことです。これはこの震災後僕が見つけたモットーと言えるかもしれません。これを初めて書いて、投稿したGReeeeN Landの皆さんはみんな会ったことのない人たちなので知らない方が多いと思いますが、クラスメイトには「うるせぇよおまえw」とよく言われます。しかし、「楽しそうに笑うよね」と言って貰った事もあります。でもそれらは全部、僕が陽気に行きようと決めたからそうであって(五月蠅いのがどうなのかはよく分かりませんが)いつ、何があっても笑っていられるようにと言う僕なりの努力でもあります。

さて。ここまで書いてきましたが、このGReeeeN Landやこれを見ている人の中でもしかしたら被災地の方が見ているかもしれませんし、またそうでない方もいらっしゃるかと思います。ただ「時間」という流れがどんどんとこの記憶を薄く、薄くしていきますが、この日だけは、再度思い出して欲しいと思います。そして、自分が今どうするべきか、今一度考えてみると言うことが大切だと思います。ちなみに僕は未だに結論を出せないでいます。

ただ、最後にこれだけ言っておきたいと思います。

明るく、陽気に生きていますか。
誰かと元気にやれていますか。

これは一見他人事だと思う方はいるでしょう。
でもこれは生きていく中で大切なことだと思うのですがいったいどうなんでしょうか。

2014.03.11 晴曇空

6年前の自分良い事を書いてるじゃねえか(自画自賛)。そんな子の6年後がこれでごめんな。本当な。違うそういう事を言いたいんじゃない。

 

この引用文に、もう少しだけわいが覚えていることを書こうと思うんですが、当時GReeeeNが大好きだった僕は、この3.11の直前に、GReeeeNのニューシングル『GOOD LUCKY!!!!』が発売されたっていって、めちゃくちゃ喜んでいた記憶があります。

それから一週間も経たずに震災があって、本当にテレビの向こうの景色がただただ別世界のように思えて、そしてその後、当時福島に住んでいたGReeeeNは『Green Boys Project』を歯科医師のボランティアをしながら開始して、僕もひたすら応援して、その一環で公開された『Green boys』という新曲を聴きまくっていた、そう言う記憶があります。

その後シングル『花唄』がリリースされ、そのカップリング曲に『PRAY』というインストが収録されてて、その時、すごくこう、色々と考えさせられました。

で、その体験談を2011年に小説で書こうとして、結局できなくて、上の引用記事を書いたのは、それをブログでなら書けるんじゃないか、と思ったこともよく覚えています。

しかし、10年ですか。そりゃそうですよな、2011年当時小6年だった僕が、今大学5年目の春を迎えようとしてるんですから。月日の流れっていうのは、本当になんか、残酷ですね。そう考えると。

 

 

で、まあ今の僕からなんか書こうと思うんですけど。

結局僕は今日まで、別に被災地に行ったわけでもなく、毎年ニュースで見て、ただただ月日の流れを感じているだけでした。

でも、その裏では、今日も被災地の方々はどこかで復興に向けて頑張っている方もいるわけです。週刊誌がどんな記事を書こうとも、誰かが騒ごうとも、原発で働いている方々は、今日も防護服に身を包んで、その後処理を続けて下さっているわけです。

本当にすごいなあ、ってわいは思うわけです。今日もそうやって、昔あった日常に、少しでも戻ろうと歩む方々がいるんです。まずはそこにわいは敬意を表します。

別に政治的な面もくそもないですよ。本当に一個人として、そう思います。

確かに5年前よりも着実に復興はしてきていると思います。ですが、今でもその爪痕が色濃く残っている場所があるのもまた事実です。でも、それに負けじと進み続ける、そんな東北の方々が、本当に眩しく見えます。

これから何があるか分かりません。もしかしたら、明日、今度はわいが、南海トラフとかで同じような状況になるかもしれません。それでも、そんなときに、少なくとも希望の光になるんじゃないかな、って、そう思います。

 

何だか文が単調だな。まあいいか。

最後に、詩を載っけて終わろうと思います。

 

『不変』

 

“また明日” が当たり前に来ると思ってた

仲良い友達の笑顔とか

大好きな人の幸せそうな顔とか

そんな日々が当たり前だと思ってた

 

色を失くした日常で

必死に光を探し続けて

目の前の喪失に恨み辛み

お悔やみで拭えない昨日を弔い

 

爪痕は今日も癒えず

愛した過去は戻りゃしない

「希望」という万能薬でも治せない物だから

ただただ手を合わすしかなかったのだ

 

あれからもう10年か

僕もクソッタレた大人になってしまったよ

知らぬ顔して今日も日々は過ぎゆくけど

青空だけはそのまんまだな

 

良い事ばかりの人生じゃない

それは誰だって分かっているけど

でも捨てたもんじゃないと思いたいよな

そう言う人生だからこそ

 

 

逃げたりしないだろ?
FOREVER GREEN BOY だね

挑み続けるんだ

 

 

2021.03.11 晴曇空