意味不明人間の朗らかな破壊

2013年末から書いてる、三流脚本家の与太話。完全不定期で更新。一方通行の近況報告。

8.15

終戦記念日ですね。晴曇空です。

 

終戦記念日といえば、瑞加賀やってた頃は、それに似合った話書いてましたね。瑞鶴と加賀が、乗組員のお墓参りする話とか。今年は書く時間無さそうですが。

わいは別に、右も左でもないんで、戦争はしないにこしたことないと思ってますが、でも、だからといって、当時乗艦していた方々を、軽蔑していい理由にはならないと思うんですよ。

彼らだって、当時は「戦わされた側」の人間であって、その死こそ当人達は「お国のために」なんて言ってたかもしれませんが、結局の所、そういう思考にならざるを得なかった時代なんです。それは艦船擬人化やってて、よく思ってました。

そうして、そういう日々の果てに今日があるんです。数多くの犠牲の上に今日がある。amazarashiの『世界収束二一一六』っていうアルバムに入っている、「花は誰かの死体に咲く」っていう曲が、そういうことをよく表していると思います。別にこのアルバムは政治的なもんでは無いですが、言い得てるな、って、そう思います。

花は誰かの死体に咲く

花は誰かの死体に咲く

  • amazarashi
  • ロック
  • ¥255

まあもう一個、今日という日に関連して書こうかな、って思った話題もあるんですが、『そういう方々』に絡まれたら面倒くさいのでやめておきます。ただ、わいもまだ弱冠23ですが、今日という日は忘れてないですよ、とだけ表明しておきます。

 

そういう今日ですが、またちょっとずつ精神の調子が崩れてきました。ちょっと頑張りすぎたかな、って感じで。

絶賛就活中で、あちこち受けて回ってるんですけど、書類は通っても面接で落ちますね。5社くらい受けて落ちてます。まだ受けようと思ってる企業はあるんで、説明会やらなんやら受けては送ってるんですが、果たして決まる日は来るやら。

あと逐一母親が就活についての話をしてくるんで、それがちょっとノイローゼ気味です。こっちもこっちで探してるし、自分のパート先の就活生の話とか、仕事で大学とか行って、「あそこの大学生こうだよ」とか言ってくるんですけど、いやそんな他人の話をされても、って感じです。

そんな話をされたところとて、その大学のキャリア支援を使えるわけでもなければ、その人の内定を奪える訳でもないし、このご時世、限られたリソースで就活するしかないんだから、もう放っておいてくれ、って思うんですけど、そういえばこの親は度々人と比較するような親でした。小中の時のわい、頑張ったなって改めて思います。

 

あとはアサルトリリィ界隈がいにくい。創作自体は楽しいんですけど、いい意味でも悪い意味でもアットホームなおかげで、艦船擬人化と同じようにアウトローはいつまで経ってもアウトローです。別にフォロワーとか人は悪くないんだけど。

フォロワーが増えても作品を読む人が増えるわけでも無ければ、あっちは凄い読むけど、わいのは読まない、みたいな、別にそういう意図は一切ないのは分かるんだけど(いや一部あるかもしれないけど)、そういう風に見えちゃってしんどいです。やっぱりTwitter向いてねえ。

ま、だからといって、試し行為をしようとも思わないんですけど。もうそう言うのは艦船擬人化時代に散々やって、怒られてきたので懲りました。けど、すぐ「嫌ってくれ」路線に走るのはどうにかしたい。したいって言って出来てたら、もう直ってるはずなんですけど。どうしたもんか。

結局、大きいコミュニティ――例えば艦これとか――は、大きいが故に、あんまり内輪ノリとかってないんですよね。大手作家同士はあっても、小中大とそれぞれ差があるから、あまり孤独感とかは感じないんですけど、アサルトリリィ界隈自体は、そんな大きくないから、内輪ノリが結構あったりして。この前も書いたけど、そういうのについていければ苦労しないんでしょうけど、なかなか話の筋を折りそうで入ってけないっていう。

わかりやすく言うなら、教室であっちこっちにグループができてて、皆楽しそうだけど、わいはそれに入ってけなくて、教室の隅の席で小説書いてるみたいな。あれ、そう言えばずっとそうだったな。何にも変わってない。唯一変わったのは、読んでくれる人が増えたことだけ。

でもまあ、結構干されてるというか嫌われてる気がするしな。もうそういうのを気にするだけ無駄なんかな、って思ったりして、それなら人目気にせず書いてよう、って感じで好き勝手やってますけど、そういうこと言ってたら、元相方に「だからなんでそういう思考になるのさ」って怒られるんだろうなあ、って思います。

なんだかんだあの頃よりは、まだまともになったとは思いますが、まだまだそういう根っこの部分は変わんないっす。

直そうとはしてるし、だからまだ良くなったんだとは思うんですけど。けど、これ以上直したとて、アサルトリリィ界隈でも、その次にどっか手を出した界隈での立ち位置が変わるわけでは無いだろうし……って思ったりして、「馬鹿言え、そういう事を言える程能力もないだろうが」って思ったりして、大絶賛思考戦争中です。

小説作家として考えちゃいけないことも、また考え始めたりしてるんで、本気で調子悪いです。そういう黒い事を言わないようにするのが精一杯。隣の芝は青い。何とか踏み留まってるわいはえらい。

 

案外溜め込んでましたね。まあ人間性はまだまだって事で、また余裕出来たら、そういう所も直していかなきゃ、って感じで。絶対そういうところを直せたら、多少なりとも生きやすくなるんだろうけど、そのゴールは遠そうです。

昔であればこうなったら、小説書くのやめてたと思うんですけど、有難いことに「良い作品をありがとうございます!」ってコメントを頂く機会が、まだたまにあって、すごい嬉しいので、それが原動力というか、最後の砦みたいな感じです。自分からその機会をみすみす手放すのは馬鹿らしいし、だからこそアカウントを消したりとか、引退しようとか、そういう思考にならないようにだけは気を付けてます。他人から見れば当たり前のような話だけど、昔と比べればだいぶマシになった。大人になった。えらい。

 

大人、っていえば、カンザキイオリの新しいアルバム『不器用な男』出ましたね。絶賛金欠中なので、appleクレジットに入ってた700円で『畢生よ』『ダイヤモンド』『青い号哭』の三曲を買って、ずっと聴いてます。

凄い良い曲というか、出会うべくして出会ったというか、カンザキイオリの感情をむき出しに歌ってる感じとか、amazarashiリスペクトしてる感じとか、本当に大好きです。給料でたら残りの曲も買う。『畢生よ』のお陰で、やばい話も思いついたので、本当にやり切れるかは分からないけど、準備だけはしようと思ってます。

龍が如く』もそうですけど、最近本当にそういう出会いが多くて、その出会いでまだ生き長らえてる所もあります。そういうコンテンツ達にリスペクト。これから出会うまだ見ぬコンテンツにリスペクト。未熟なわいの作品たちにリスペクト。わいの無能さにリスペクト。

 

また書きます。