意味不明人間の朗らかな破壊

2013年末から書いてる、三流脚本家の与太話。完全不定期で更新。一方通行の近況報告。

1.8 - 千年続く幸福を

晴曇空です。

 

わいが好きなamazarashiの曲に、『千年幸福論』っていうのがあります。昔よく『カルマ』に並んで創作のネタによく使ってたんですが、やっぱ良い曲だなあと。

最近書いた気でいて、多分結構昔にブログの記事で『創作における「幸せ」ってなんだ』って話を書いたと思うんですけど、何度聴いても、この曲がそれに一番近い回答なんじゃないかな、って思います。

 

「幸福」ってのには、絶対終わりがあります。大好きな人も、いつかは何らかの形で別れるし、当たり前の日常ですら、簡単に崩れ去ります。

わいはその「終わり」を何度も見てきました。古くは親の離婚、最近で言えば元相方と別れたこととか、振り返れば色々。人よりも、多分見てきてます。まあ大抵はわいが悪いんですけど。

物語だってそう。わいが今でも大切にして理念に、『バッドエンドを引き立たせるには、その直前をうんと幸せに描けばいい』というのがあります。人が何か強く思ったり、反感を覚えるのは、昨日まで幸せだった人達が、今日その幸せが壊れるから。千年続く幸福なんてないんです。

それでも、誰しもが千年続く幸福を願うんです。今日あるこの日常が、ずっと続くと信じてやまない。だけど、いつかその終焉を、目にする日がやってくる。そしてそいつは、何もかもを奪い去って返さない。それを『理不尽』って人は呼ぶ。

この『理不尽』ってのも、昔からわいが取り上げる創作のテーマの一つです。というか、そもそもわいの創作の原点がそこでした。それが昇華して、今の『幸福』っていうもんの考え方になってる気がします。バッドエンドスレスレの日々が、一番幸せだと思ってます。

 

ま、別に何があったわけではないんですけど。強いて言うなら、amazarashiのライブの『未来になれなかった全ての夜に』の「千年幸福論」の映像を見てて、改めてそう思っただけです。

今のわいは、まあ少なくとも不幸ではないです。たまに元相方と喋って、数少ない友人とか知り合いと笑って、次に書きたい話が色々あって、どれやろうか悩む日々が不幸せなわけがない。

けど、これもずっと続くわけじゃない。いつかは終わる。これは悲観じゃないです。誰にでも起こりうる現実の話です。

 

「創作の中でくらい、幸せな話が読みたい」って言う声が強いのは分かってますが、それでも腐っても、昔からわいはシリアス作家です。最近割と幸せな話を書くことが多いですが、別にそれをやめた訳じゃない。

なので、同人誌で一個色々考えてるものがあります。これはバッドエンドではないです。だけど、ある種「幸せ」の終わりです。

まあ多分受け入れられはしないと思いますが、わいが好きな、読みたい話なんで、記念碑的にいつか作ろうと模索してます。いつ作るかは分かんないですが。

 

そんな感じで。また書きます。

千年幸福論

千年幸福論

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