意味不明人間の朗らかな破壊

2013年末から書いてる、三流脚本家の与太話。完全不定期で更新。一方通行の近況報告。

​日常に隠れた幸福

※晴曇空のオフィシャルサイトの「Extra contents 2」より抜粋。

はるばるこんなところまでお越しいただきありがとうございます。晴曇空です。

 ここ数年、私は百合作品を多く書いてるわけですが、専らここ二年間は、艦これにおける瑞鶴と加賀という二人に焦点を当てて小説を書いてきました。

 そもそも遡って話をすると、私が百合小説を書き始めたきっかけというのは、この艦これの二人の同人誌を読み始めたのがきっかけでした。それから別名義でぽんぽん小説を上げ続けて、紆余曲折あって今に至ります。

 その中で、昔から私の作品を読み続けている方は、もしかしたら気づかれているかもしれませんが、初期作品と比べて、結構戯れてるシーンはないとは行かないまでも、結構減りました。でも、仲睦まじい様子はシリアス作品を除いて、あるんじゃないかなと思います。

 こうした作風の変化の一番の要因は、恐らく私自身の精神的なアレコレがなんとかなったからというのと、あとは元々持っていた恋愛観と、経験してきた喪失感、すべてが合わさった結果なのかな、と今振り返れば思います。

 話は変わりますが、アナタが送っている毎日は、幸せでしょうか。それとも、不幸せでしょうか。どちらでも僕は何も言いません。

 ただ、僕はどちらかというと、それほど日々を幸せだと思ったことはありませんでした。高校の時に初めて誰かと付き合って、その時は幸せでした。でも、別れた後はどうしようもなく不幸でした。それをネットの当時の名前――晴曇空のせいにしたこともありました。その後も誰かと付き合う機会には恵まれましたが、その度に終わりが来て、そういえば信じてた人に裏切られたことさえありました。

 そういった経験の中で、改めて誰かと過ごしている一日一日が幸せなことなのかな、と少し思ったわけです。その“誰か”は、恋人みたいな、そういう関係じゃなくても良いと思います。学校でバカやって遊んでる友人でも、部活とかサークルで一緒にやってる仲間でも。そういった人たちと過ごしてる時間は、今は当たり前でもいつかは終わりが来る。

 そういった景色を何度も僕は見てきたからこそ、その「当たり前の日常」の一瞬を描いたのが、最近の私の作品であり、書きたいことなのかなと思います。そして、シリアスにしても、その輝かしく見える日常を色濃く描くことで、ぷつりと切れる瞬間、文面以上の絶望さを描き出せるような気がしています。

 今の環境は、今まで以上に幸せで恵まれているなと思います。今まで苦労してきたのがようやく恵まれたのかなとも。でも、明日明後日、唐突にこの日々の終わりが来たらなんて、考えたくありません。でも、絶対いつかは訪れるんです。今世に出ている私の作品たちは、そんな現実からの逃避の足跡です。

 

ここまで読んで頂きありがとうございました。

また、いつの日か。​