意味不明人間の朗らかな破壊

2013年末から書いてる、三流脚本家の与太話。完全不定期で更新。一方通行の近況報告。

4.12

空です。

 

大学生の頃に、秋田ひろむの影響で聴き始めたTHA BLUE HERB。その一人であるtha BOSSのソロアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP II』の発売日。

あまりHIPHOPに明るくないわいだけど、先にYoutubeで公開している『SOMEDAY』やCMを見て、「これは聴かなきゃ」と思って購入。やばかった。また聴き込んで書きます。

 

そしてそんな今日、ちょっと『死別』ってことに関して考えることがあって。

いつか、このブログでも死生観についていくらか書いてきたけど、やっぱり実際に誰かを亡くした人を見るのは辛かった。し、どれだけその人のことが大切だったのかよく分かった。だからこそ、見てるこっちもとても辛くなった。嫌ではなかったけど。

創作でよく『死別』ってもんを描いてきたから、それについて色々と自論はあったけど、いざ遺された側の姿を見ていると、改めて「誰かが死ぬ」ということがどれほどの物なのかを、まざまざと見せられました。

わいはずっと希死念慮と戦ってきたし、誰彼構わず「もう死んでやる」って言ってきたけど、それはやっぱりどこか『死ぬ』ってことがフィクションに思えてて、だからこそその言葉の重さ、行為を軽んじてたけど、でもそうだよな、仮にわいが死んだとて、『わい』という人間の換えはいないもんな。似たような人はいても、一字一句同じ人間はいないもんな。

色んな人の別れを、自分自身もたくさんの別れを経てきて、だから余計に考えることが多かったから、多分わいも感情がごちゃごちゃになったんだと思う。

函館のばあちゃんや、静岡の祖母の姉妹、その旦那さん。少なからずわいも死別は経験してきたけど、それ以上の何かがありました。

どうしようもない母親や、祖父や祖母が死んだら、わいも同じように泣くのかな。どこか誰かが死ぬってことに対してドライなわいだけど、そんな日が来るのかな。でも、祖母の姉が死んだ時、お葬式で見たら、もういないんだ、って思って泣いたもんな。そんな事を思い出しながら。TBHの『TWILIGHT』。

でもそれだけ誰かを想えるって素敵ですよね。だからこそ、失くした時の痛みは相当で。

立ち直るには時間がいる。この苦しみを分かってくれる人はきっといない。誰かは「あいつ如きで」と言うかもしれない。だけど、その一言で片付けられないから、どうしようもなく悲しいし寂しいし、泣きたくなる。それはその人の持つ優しさと思い出の証でもあって。

時間はかかる。1ヶ月、半年、1年、それ以上かもしれない。「もっとああしたかった」って後悔は一生尽きない。何も出来なかった虚無感に抗えるほど人は強くない。

だけど、そんな日々を乗り越えて、いつか「そんなやついたっけな、元気してんのかな」と笑えるようになった時、きっと亡くなった方も救われるんじゃないかな、とわいは思います。

今は泣けばいい。その涙が無駄になることはきっとない。

きっとそれだけ想い出があるなら、忘れることはない。その想い出を大事にアルバムにしまって生きていけ。

 

 

どうか魂が迷子、ならないよう。

TWILIGHT。

 

 

同じ界隈に生きる者として。ご冥福をお祈りします。