意味不明人間の朗らかな破壊

2013年末から書いてる、三流脚本家の与太話。完全不定期で更新。一方通行の近況報告。

新しいドキュメント.jtd

「……はぁ」

キーボードを叩く手を止めて、俺は背もたれに思いっきり寄りかかった。安っぽい椅子が重心を崩して、後ろにひっくり返りそうになって、冷や汗をかいた。そんな椅子に、内心で舌打ちをした。

いや、舌打ちをしたのは椅子に対してじゃないのかもしれない。顔を上げて、煌々と光るモニターに映るそれは、誰にも読まれない、物悲しい、才能も無い俺が書いた、何ら面白くない文の羅列だった。人はそれでも、こんな拙いモンを『小説』とか呼んでくれるらしい。しかし、そう呼んでくれる人間だってもういないんだから、やっぱりこれはただの『文』だ。

真夏も近い生温い風が、開けっ放しにしたまんまの窓から流れ込んできた。一刻も早くこんな風とおさらばしたいところだが、生憎俺の部屋には、エアコンなんて文明機器は存在しない。「強」で回る扇風機が、いたたまれなさそうに、そんな風を押し返していた。

そんな気持ち悪さにもう一度溜息を吐いて、文書作成ソフトを保存して閉じる。こんな駄文、保存するだけクラウドの容量の無駄な気もするけど、どうせ他に保存したい物なんてない。昔の彼女と撮った写真も、ふとした拍子にエモさを感じて撮った街角の写真も、そんなどこでも見られるような環境に置くほどの価値は無いから。

別れた彼女と撮った写真なんて、ただの感傷に浸って、過ぎた幸せを悔いるだけのツールでしかないし、撮った写真なんて、カメラロールを開かなきゃ思い出しもしない。どうせ同じような構図をまた写真で撮るんだ。意味が無い。

インターネットブラウザを立ち上げて、URLに呟き型SNSを開けば、今日もフォローしてる人達が楽しそうに話していた。その傍らには、好きな絵描きが今日も神絵をアップロードして、多くの人に拡散をされたり、コメントを貰ったりしている。そりゃそうだ、この人の絵はいつだって最高だったから。落書き程度のラフな絵だって、その才能を隠しきれてないのが、その証拠だ。

なにか感想を打ち込もうと思って、返信ボタンをクリックして、めちゃくちゃ好きな所を羅列した文を書き殴る。

あらかた書き終わって、送信しようとして我に返った。いや、こんな何十と色んな人から感想を貰ってるのに、わざわざ俺が書く必要はあるのだろうか? どうせ皆と同じような感想しか書いてないのだし、俺が送る必要は無いんじゃないか?

数分間の葛藤の後、俺はそっとそんな文の羅列を削除した。送る代わりに、いつものようにいいねと拡散だけしておく。その数秒後、滅多に反応を寄越さない俺のフォロワーが、その人の絵を拡散した通知が来た。そんなもんだろうな、と思いながら、いつも小説を投稿しているサイトを開く。相変わらず通知のアイコンには何も付いていない。

数ヶ月前まで、この現状からは考えられないほど、たくさんの人に俺の作品は読まれていた。俺が書いてるのは、アニメのキャラで物語を書く、所謂二次創作っていうやつだが、そのアニメがソシャゲの開始もあってか、勢いづいていた。

そのお陰で、多くの人の目に留まり、全員が全員じゃないにしても、少なからず感想をくれる人達がいた。評価を押してってくれる人もいた。数年前、下手に創作に塞ぎ込んでた頃から考えれば、信じられないほどの光景だった。そういう景色を見られたのは、「創作やめたい」なんて言いつつ、続けてきた自分の功績だと思っている。

だが、二次創作ってのは、盛者必衰の差が激しい。

特に、このクソ忙しくてストレス社会である我が国において、国語であるはずの日本語で書かれた、この『小説』ってジャンルじゃ、元々読む人口が少ないのに、その波が一段と激しい。そして皮肉な事に、上には上がいるもんで、俺にとっての世紀の名作を上回るような作品を上げて、俺以上に評価されてる人間ってのがいる。

大抵、そういう人はさっきの呟き型SNSでも、色んな話に話しかけられて楽しそうに喋ってるもんだから、いよいよ居場所の無さを感じている。昔はそれが嫌で、何回もアカウントを消したり移行したりを繰り返していた。その度に、彼女に叱られては繰り返し、去年の秋頃に痺れを切らした彼女から振られた。

「もうアカウントなんか作らん」と、一時期アカウントが無かった時代もあったが、結局人に読んでもらう広告には、このサービスが一番だった。

専ら、ここ最近の自分の作品は面白くないのか、すっかりSNSのフォロワーからの、俺への関心も薄れて、遂にはよく感想をくれていたフォロワーすらも、感想は送られなくなっていた。別に炎上したわけではないけれど、宛ら、火事の後の焼き焦げた木造の一軒家のように、スッカスカな繋がりだった。そんなフォロワーが、今日も他のフォロワーと挨拶をし合ったり、会話してるもんだからやってられない。昔、教室の隅で空を眺めてた時の空虚さを思い出して泣きそうになった。

 

 

そこまで書いた文を読み返して、俺は溜息を吐いた。

分かってる。そういう状況を作り出したのは、紛れもなく俺のせいだ。

俺は人並みにも会話出来ないし、時代の流行りに乗っかるような事は苦手だ。

そのくせ、仲良くなりたい人にはしつこいほど返信は送るし、そりゃあ嫌われても仕方がない。だから最近は、もうこっちから送るのをやめた。やめたら、話すことも無くなった。結局今日も独りだ。

何もかも嫌になってしまった俺は、そこまで書いた文を、CtrlとAで全選択して、一気に削除した。誰かが待ち望んでいるはずの新作を、俺は今、誰の目に止まらせる事もなく消したのだ。

別にもう感想とか評価はどうでも良かった。ただ書きたい話を書いて、それが誰かに刺さって、どうにかバズってくれれば良かった。でも、現実は、「投稿した」っていう投稿は拡散もいいねもされなければ、同人誌を渡したり買った人から、簡単でも感想を送られることもない。

そうなると、俺が作品を書く理由はたった一つ、自分が気に入る作品が読みたいから書く。それなら、自分が気に入らなければ消すのも当然だろう。他の人が、自分の作品が気に入らなくなってフォローを外すのと一緒で。

だから新作が生まれない。作品を生まれない奴には存在価値など無い。「そんな事無い」とは言わせない。それはあの電子世界が痛いほど示してる。

大体「小説」なんていう、日陰の活動をしてるからいけないんだ。もし才能があったら……なんて思うけど、ないもんは仕方ない。努力すれば、その夢物語も夢じゃないのかもしれないが、生憎そこまでする余裕もない。だから、俺は変わらない。

 

 

そこまで書いた文章を、気に入らなくて全選択してまた消した。手の中にあるはずの、世紀の傑作は、今日もまた息絶えた。誰にも見られずに。

『作品』は今日も生まれない。