どうも、夕留祐です。
3月だというのに寒いですね。桜はまだつぼみです。
さて、3月11日も5年経ってしまいましたね。ちょっとここで過去の私の3月11日前後の投稿を見てみましょう。
2015年3月 →呑気に頭を縫ったことを書いてやがる(大震災について記載なし)
2014年3月11日 ↓(原文ママ)
どうも。晴曇空です。
僕にとって今日はちょっと大切な日でもあるのでこの記事はFacebookとかLINEのタイムラインに載せます。予めご了承ください。
さて。今日は皆さんご存じの通り三年前に東日本大震災が起こった日であります。この日をきっかけに僕に明確なモットーが出来た日と言えると思います。そのモットーとは、それはこの日記の後で。
三年前の今日僕は何をしていたかはまだ覚えています。三年前の今日は小学校の卒業式を間近に控え卒業記念品のオルゴールの箱に絵の具で色を塗っていました。地震発生時間、14時46分は6時間目の途中でした。この時間に校舎に大きな揺れがおそいました。僕は東北ではなく北海道の道南に住んでいたため直接的な被害はありませんでしたが、その時学校で見た津波の映像は初めて見た悲惨で、怖い映像だとその時の僕は思いました。勿論それはまったくの第三者的視点で現地の人々の苦しみや不安に比べては何十分の一にも満たない、いや、何百分の一かもしれない陳腐な感想でした。
その後もテレビも連日の様に震災のニュースを報道し、コマーシャルも全て自粛し公共広告機構のコマーシャルだけが流れていました。ただひたすら何も変わらない現状を僕はただ傍観(み)ていた気がします。勿論僕も物資を送りました。本とか衣類とか。 今はどのように使われているかは分かりませんが少しでも役に立っているのなら幸いだとただただ思っています。
三年経った今、被災地はどうなのでしょうか。テレビでは「未だに復興が進んでいるところは少ない」と報道しているところが多いのですが、実際どうなのでしょうか。僕は被災地に行ったことはないので詳しい現状は分かりません。でも外見は進んでいなくても被災者の方々は少しずつ前を向き始めている方が増えてきています。また漁業などの面でも復興してきているのではないでしょうか。しかし、一方で復興が難しいと言われている地域も存在しているのも事実です。原発事故だってまだ収束しておらず、自分たちの故郷に帰れない人もいます。また、まだまだ行方不明の方も多くいます。
そんな中人に言えるような立場ではない僕ですが、言いたいことは「陽気に生きていますか」と言うことです。これはこの震災後僕が見つけたモットーと言えるかもしれません。これを初めて書いて、投稿したGReeeeN Landの皆さんはみんな会ったことのない人たちなので知らない方が多いと思いますが、クラスメイトには「うるせぇよおまえw」とよく言われます。しかし、「楽しそうに笑うよね」と言って貰った事もあります。でもそれらは全部、僕が陽気に行きようと決めたからそうであって(五月蠅いのがどうなのかはよく分かりませんが)いつ、何があっても笑っていられるようにと言う僕なりの努力でもあります。
さて。ここまで書いてきましたが、このGReeeeN Landやこれを見ている人の中でもしかしたら被災地の方が見ているかもしれませんし、またそうでない方もいらっしゃるかと思います。ただ「時間」という流れがどんどんとこの記憶を薄く、薄くしていきますが、この日だけは、再度思い出して欲しいと思います。そして、自分が今どうするべきか、今一度考えてみると言うことが大切だと思います。ちなみに僕は未だに結論を出せないでいます。
ただ、最後にこれだけ言っておきたいと思います。
明るく、陽気に生きていますか。
誰かと元気にやれていますか。
これは一見他人事だと思う方はいるでしょう。
でもこれは生きていく中で大切なことだと思うのですがいったいどうなんでしょうか。
2013年 → 呑気にGReeeeNのメンバーが引っ越すことを書いてやがる。しかも公式HPからのコピペもあるし。親が俺がブログのやってるん知らんときのや(白目)
2012年 →まだブログやってない
2011年 →確かうごメモで文字メモ投稿したような気がする
いやぁ、一番真面目に書いたの3年前のだけじゃねぇか!なんでや!
さてまあ、はい。
ちょっと真面目に書いてみましょう。
小学校卒業式を控えた5年前の3月11日は、3年前のにも書いてある通り、図工をやっていたんでしょう。揺れが函館を襲ったとき、理科の先生が「大丈夫だ、直下型じゃない!」って言いに来たのを今でも鮮明に覚えています(確か地震の事を勉強したばかりだった)。
担任が教室のテレビをつけると、目の前に現れたのは津波が襲ってきている場面でした。地理的には近い東北の地が、あまりに遠い出来事のように感じた自分がそこにいたのを今でも微かながら覚えています。
もう嫌になるほど同じ映像を何度も流し、過剰ほどの自粛をしたテレビ。
情報が錯綜して、何が正しくて何が間違っているのか、分からない世界でした。
しばらく余震も続きました。他人事ながら、現地の方々は押しつぶされそうなとてつもない不安をあの時も、そして今でも抱えている方が多いと思います。
少しずつ、被害の全貌が明らかになって、行方不明の方々も見つかっていきました。っそして、もう戻ってこない「時間」も増えていきました。
少しずつ、皆が団結し始めました。著名人も、一般人も、皆東北を応援しようと立ち上がりました。しかし、足を引っ張るような、人と気持ちを踏みにじるような報道もされました。風評被害も酷かった記憶があります。
あれから5年。
色々変わりました。
原発も、再起動し始めました。
それが、本当に正しい選択なのか、誰にも分からないまま。
それでも、僕らはこの事をきちんとまた同じようなことがあった時に生かさねばならない。そう思うのです。
言うことは簡単。でもやることは難しいのです。今の日本に、そして僕らにその『やる』ということが出来るのか。この節目に、見直したいと、そう思うのです。
今生きていること自体が幸せだと、再認識した自分がいました。
2015.3.13 夕留祐/晴曇空